<活動グループ> 郷土史友の会
我孫子には、大正時代を中心に多くの文化人が居宅や別荘を構え、北の鎌倉とも
言われた。嘉納治五郎、柳宋悦、志賀直哉、武者小路実篤、杉村楚人冠、村川堅
固、柳田國男などなど。今日は、「郷土史友の会」として久々に、JR我孫子駅から
村川別邸までの間、歴史の跡や文人の足跡を訪ねる散策を行った。
↑我孫子市ゆかりの文化人を紹介した石碑
*我孫子駅
飯泉喜雄氏は「鉄道なくして町の発展はない」と、私有地を我孫子駅用地として無償
提供し現JR常磐線を誘致した。(明治29年開通)この我孫子駅の開通が起点となり、
千葉県最大の製糸工場が設置され、我孫子の発展が進んだ。そして明治末期から
大正時代には、上記の通り多くの文化人が集まる事になった。
↑・飯泉喜雄顕彰碑 ・停車場碑
*山一林組製糸工場・石橋製糸工場跡
明治39年建設、最多時は女工380名余りで、千葉県で最大の製糸口上であった。
この工場のお蔭で、農家の収入や雇用の安定など、我孫子地区の発展に大きな影
響を与えた。
↑ 石橋製糸工場跡の説明看板に見入る「郷土史友の会」メンバー
*旧我孫子宿名主邸(小熊家 非公開)
*杉村楚人冠記念館・楚人冠公園
関東大震災後、我孫子に在住しアサヒグラフ連載の名随筆「湖畔吟」などで広く
我孫子を紹介した。近くの楚人冠公園には楚人冠の句碑があり、昔は手賀沼の
向うに富士山、筑波山が望めた。
*嘉納治五郎別荘跡
教育者・柔道「講道館」の創始者として有名な嘉納氏は、明治44年に別荘地を
購入。近くに約2万坪の農園を設けた。柳宗悦、村川堅固などは嘉納治五郎を
慕って我孫子に来ることになった。
↑嘉納治五郎別荘地で記念撮影
*柳宗悦邸跡
嘉納治五郎が「三樹荘」と命名した邸。柳宋悦は大正3年から約7年間、この邸に
兼子夫人と共に過ごした。庭園には椎の巨木が3本ある。それから、<天神坂>を
下りて、<ハケの道>を東へ進む。ここには古墳跡や名所旧跡が多い。
↑天神坂
*我孫子市白樺文学館(有料 300円)
白樺派作家の原稿・書籍・絵画や、民芸運動に携わった人々の作品を展示。
地階では声楽家 柳兼子(柳宗悦氏の奥方)のCDが聞けた。
*志賀直哉邸跡(建物は書斎のみ現存)
大正4年から同12年まで過ごし、「和解」「暗夜行路(前篇)」「小僧の神様」 など
の代表作を書いた。武者小路実篤などと文芸雑誌「白樺」も刊行。
↑志賀直哉邸跡
* 旧村川別荘(村川氏は嘉納氏を慕って我孫子へ)
東京帝国大学教授(西洋史)村川堅固が、大正10年我孫子宿本陣の離れ屋を
別荘にし、息子 村川堅太郎(東大教授・西洋史)。当時の別荘が現存し、当時の
雰囲気が漂っている。 尚、我々が訪れた3月6日には<雛祭り>で昔のお雛様や
つるし雛が展示されていた。(毎年3月上旬に開催)
↑展示されていた「つるし雛」
散策の後、昼食を共にしながら、「郷土史友の会」の大先輩<深井 光様>から、
我孫子の歴史や「郷土史友の会」の昔の話など、の貴重なお話を伺い懇談をおこ
なった。今日は参加者16名。天候にも恵まれて、楽しい散策であった。又、深井様
の貴重なお話も聞くことが出来た。我孫子には多くの古墳跡もある。今日行けなか
↑向かって右が深井光氏 以上